2006年10月2日月曜日

YS11機最後の就航のニュースに際

鹿児島と奄美諸島を結んでいた国産旅客機YS11の最後の就航がニュースで報道された。長い間、本土と島を結ぶライフラインとして島民に定着していただけに最後の就航を惜しむ声が多く、多くの人に見守られながらその幕を閉じた。当時は島と本土の行き来は船が当たり前で、飛行機は安全性という面で認識がまだ低く、航空運賃も庶民に取っては高値の花だった。昭和41年から就航というから、就航して間もない小学生の頃、霧島で琉球舞踊の招待公演があり始めて飛行機に乗った。憧れのスチュワーデスが行う救命胴衣と機内の説明をするジェスチャ-が珍しく、またジュースとキャンディのサ-ビスが無性に嬉しかった事を覚えている。島に帰る時にYS11に乗り、空港が近くなると島を囲む珊瑚礁のリーフを大きく旋回するのだが、丁度窓際の席に座ったらプロペラが片方動かなくなったのを目の当たりにして、自分の運命もこれまでとヒヤッとした経験があるが片方止まっても飛行に何ら影響がない事をその時初めて知りました。飛行途中、エアーポケットでかなり下降してジェットコースターのスリル感を味わうのも今にしては懐かしい思い出です。新空港になりスピ-ドの早いジェット機に様がわりしたが、長い間島の人の喜び悲しみ、夢と希望を乗せて運んでくれたYS11に心から感謝したい。

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